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B型デザイナー・タカの趣味日記


by samune_3
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【ボラ記1】被災地へ

【ボラ記1】被災地へ_c0210371_16184692.jpg


「あんたねぇ、春休みヒマなんだったらバイトでもするか
 人様の役にでも立ってくれば?」


今から16年前の2月中旬、母親が僕にそう言った。

当時、専門学生だった僕はムダに長い春休みを心待ちには
していたが、そう言われると確かに何の予定も計画もなく
自宅でダラダラ過ごすことは目に見えていた。

「人様の役に」というのは、ちょうど1カ月前に隣県で起きた
大震災のボランティアの事で、連日テレビでは避難所の様子や
全国から駆けつけたボランティアの活動が報道されていた。


そんな母親の小言を軽い相づちで聞き流した2週間後の朝、
僕は被災地を自転車で走っていた・・・






こう書くと、岡山市から神戸市までの約120kmを自転車
こいで被災地入りしたように思えるが、そうではない。


僕はどちらかというと人見知りする方で、他人と関わる事が
苦手だ。そんな性格だから、震災ボランティアに参加して
被災した人たちを元気づけたりする自分の姿など想像すら
できず、まぁせいぜい救援物資の運搬を手伝ったり・・・


「ん? ・・・救援物資の運搬とかなら手伝えるかな?」


その程度の気持ちが、なぜ僕を日赤岡山県支部に導いたのか
今となってはよく覚えていないが、とにかくそこで僕は
阪神淡路大震災の救援ボランティアに正式登録したのだ。



登録から数日後、岡山駅から電車に乗って神戸へ。
このときすでに市街地までの路線はほぼ復旧されていたので
難なく神戸入りできたが、車窓からの風景は姫路あたりから
屋根をブルーシートで覆った家々が増え始め、神戸の街に
差し掛かかった途端、真っ黒な焼け野原や線路に向かって
寄っかかる斜めのビルなどがイヤでも目に飛び込んできた。

日赤から、現在人材を募集しているボランティア事務所を
紹介されていたので、とりあえず徒歩でそこを目指した。


ボランティア事務所は、10階建てくらいのビルの2階。
1フロア全てを借り切って運営されていた。
夕方ビルに辿り着き、1階玄関から中を覗くと胸に名札を
付けた大勢の人たちが手にダンボールやら布袋やら持って
廊下や階段をドタバタと慌ただしく走り回っている。

「うわ!みんなボランティアかぁ。やっぱ忙しいんだな」

何したらいい? と、とにかくまずは自己紹介?なんて
考えながらオドオドと階段を歩き2階に着いたときだ。

「ねぇ!ちょっとそこの人!」 背後から声がした。

振り返ると、走って階段を下りていた若い男性が踊り場で
立ち止まり、僕に向かって話し始めた。なんだ?


「もしかして、今ここに着いたの?初めて?」

このビル内で、不安気な顔してチンタラ歩いているのは
僕くらいだったので、簡単に察しがついたようだ・・・

僕が返事をする間もなく、その男性は切り出した。


「ここの事務所、今日で閉鎖なんだよ!」


何を言っているのか、一瞬わからなかった。

『いや、あの、日赤からの紹介で・・・』そう言葉に
しようとしかけた僕に、男性は矢継ぎ早に続けた。

「来てくれたばかりで悪いけど、そういうことで
 今みんな撤退作業に追われてるんだ!どうする?」


どうする?と言われても、どうしたら良いのか?
考えようにも考える材料もなく困惑していると男性は

「となりの区のボラなら生きてると思う。そこ行く?
 あぁ、でもちょっと距離あるしなぁ〜・・・
 今日はここに泊まってけば?誰もいなくなるけど」


もう何がなんだかワケがわからず「はぁ」と答えるのが
精一杯だった。
男性は2階フロアの一室が寝床になってることを伝え、
再び走って階段を下りかけたが、また立ち止まり
今度は僕の間近まで駆け上って来た。忙しない人だ。

「良かったら、コレあげる」 握り拳を突き出され
反射的に手の平で受けると、そこには自転車のカギ。

「下に停めてる。テキトーにどっか乗り捨てちゃって
 いいから。使ってよ」


自転車を、テキトーにどっか乗り捨ててもいい・・・
こう言われて、自分が非日常的な場所にいることを
なんだか妙に実感した。

そして、いよいよ親切だが落着きがない男性との別れ。

「で、キミどこから?」
「あ、えっと、岡山です」

神戸に入って言葉らしい言葉を発したは初めてだった。
男性は笑顔で「そっか、俺も岡山。じゃ頑張って!」

岡山と聞いて親近感と共に話したいことがワッと頭に
浮かんできたが、やはり僕が返答する間もなく男性は
階段を駆け下り、今度こそ二度と会う事はなかった。



早速、教えてもらった寝床のある部屋へ向かう。
そこには、鉄パイプにモロ自衛隊カラーの深緑色の布を
張っただけの簡易ベッドが20床ほど並んでいた。
他には一切何もなく、外の慌ただしい足音とは正反対に
不気味なほど静まり返っている。

「明日からどうなるんだろ?」

まだ寝るには早い時間だったが、することもないので
ベッドに寝転んで天井を見上げて途方に暮れた。
よく見ると天井には細いヒビがいくつも入っていて、
目で追っていくと壁や柱にも無数のヒビ割れがあった。

そうだ、ここビルなんだ・・・
余震が来たら倒壊することだって・・・

今さらながら、ふとそんなことに気づき恐ろしくなった。
なんでここにいるんだ?とか家族の事とか色んな思いで
頭の中がゴチャゴチャして、とてもじゃないがまともに
眠ることなどできなかった。

何時なのかもわからない深夜、外の足音は消えていた。



朝日が昇り始めるとともに、誰のものともわからない
例の自転車を駐輪場から引っぱり出し跨がった。
被災地に着いて2日目、いきなり見失うこととなった
自分の仕事場を探してペダルを踏み込んだ。


つづく
by samune_3 | 2011-03-14 16:41 | ボラ記